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海風 (白露型駆逐艦) : ミニ英和和英辞書
海風 (白露型駆逐艦)[かいふう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

海風 : [うみかぜ, かいふう]
 (n) sea breeze
: [ふう, かぜ]
  1. (adj-na,n,n-suf) method 2. manner 3. way 
: [しろ]
 【名詞】 1. white 
白露 : [はくろ]
 (n) morning dew
: [ろしあ, つゆ]
 1. Russia 2.Dew
: [かた]
 【名詞】 1. mold 2. mould 3. model 4. style 5. shape 6. data type 
駆逐 : [くちく]
  1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction 
駆逐艦 : [くちくかん]
 【名詞】 1. destroyer 
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

海風 (白露型駆逐艦) : ウィキペディア日本語版
海風 (白露型駆逐艦)[かいふう]

海風(うみかぜ)は、大日本帝国海軍駆逐艦一等駆逐艦白露型の7番艦〔#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|白露型|白露、時雨、村雨、夕立、春雨、五月雨、海風、山風、江風、涼風』〕。海風型駆逐艦/改白露型駆逐艦の1番艦だが、帝国海軍の公式分類は白露型である〔。この名を持つ帝国海軍の艦船としては海風型駆逐艦海風に続いて2隻目。
==艦歴==
第二次軍備補充計画(通称「マル2計画」)で計画された海風以降の4艦(海風、山風江風涼風)は第四艦隊事件の影響で設計が若干改められ、「改白露型」もしくは「海風型」と呼ばれることもある。変更は主に船体構造であった。外観の特徴としては艦橋形状が変更され〔#海風艦橋実物大模型p.2『理由.海風以降駆逐艦艦橋ノ標準型トシ且ツ形状ヲ極力少ナラシメンタメ実物大模型型ニツキテ研究ノ上決定スルヲ可ト認ムルニ付』〕、のちの朝潮型駆逐艦陽炎型駆逐艦も海風型と同一形状を採用している。対空用に採用した40mm機銃(毘式四十粍機銃)2挺は、海風型(改白露型)では13mm連装機銃2基に改められている。
海風は舞鶴工廠で1935年(昭和10年)5月4日に起工された〔#艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『海風|一等駆逐艦|(艦要目略)|舞鶴工廠|10-5-4|11-11-27|12-5-31|(艦装備略)』〕。
1936年(昭和11年)11月27日に進水〔〔『○進水 舞鶴海軍工廠ニ於テ建造中ノ驅逐艦海風ハ昨二十七日進水セリ』〕。12月1日附で日本海軍は、睦月型駆逐艦11番艦「望月」駆逐艦長成富武光少佐を海風艤装員長に任命する〔昭和11年12月2日付 官報第2976号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959458 p.23〕。同日附で山田雄二中佐も江風艤装員長に任命されている〔。
1937年(昭和12年)4月15日、成冨海風艤装員長は制式に海風初代艦長となり、艦幹部達も任命された〔昭和12年04月16日付 官報第3084号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959567 p.7〕。5月31日に竣工〔。佐世保鎮守府所属。
起工、進水、竣工ともいずれも江風の方が海風より早かった〔#艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『江風|一等駆逐艦|(艦要目略)|藤永田造船所|10-4-25|11-11-1|12-4-30|(艦装備略)』〕。また、進水も白露型8番艦「山風」の方が早かった〔#艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『山風|(艦諸元略)|浦賀船渠會社|10-5-25|11-2-21|12-6-30|(兵装略)』〕。
1937年(昭和12年)5月31日、海風の竣工とともに海風型(改白露型)2隻(海風、江風)により第24駆逐隊(司令久宗米次郎大佐)が編制される〔昭和12年06月01日付 官報第3121号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959604 p.8〕。姉妹艦2隻(山風、涼風)も竣工と共に編入され、海風型(改白露型)駆逐艦4隻(海風、山風、江風、涼風)を揃えた。同年8月23日、日中戦争にともなう陸軍上陸作戦および対地支援砲撃中に第24駆逐隊は中華民国軍の空襲を受け、至近弾により海風で軽傷者1名を出した〔#24dg支那事変第1回功績概見表p.3『山風海風江風|殊勲乙|昭和十二年八月二十三日 於川砂口陸兵揚陸掩護 敵前上陸掩護射撃 敵航空機攻撃(略)海風附近海面ニ落下セル爆弾(八)ノ破片ニヨリ海風ニ軽傷者一名ヲ生ズ』〕。その後も、陸軍兵輸送、海軍陸戦隊派遣、対地砲撃支援、掃海作業などの諸任務に従事した。
1938年(昭和13年)12月15日、第24駆逐隊司令久宗米次郎大佐は迅鯨型潜水母艦2番艦長鯨艦長〔p.18〕へ転任した(後日、久宗は軽巡川内艦長、重巡青葉艦長、戦艦長門艦長、山城艦長等を歴任)。後任の24駆司令は中川浩大佐となる〔。同日附で、成冨(海風艦長)は空母加賀運用長へ転任し、白露型姉妹艦五月雨駆逐艦長渡邉保正少佐が海風二代目駆逐艦長となる。
1939年(昭和14年)10月15日、渡邉(海風艦長)は朝潮型駆逐艦2番艦大潮艦長へ転任する(後日、陽炎型駆逐艦16番艦艤装員長・初代駆逐艦長等を歴任)。後任の海風駆逐艦長は、大潮および朝潮駆逐艦長を兼務していた飛田健二郎少佐となる〔。
1940年(昭和15年)10月19日附で中川24駆司令は古鷹型重巡洋艦1番艦古鷹艦長へ転任、後任の24駆司令には第27駆逐隊司令松原博大佐(後日、松原大佐は軽巡阿賀野艦長、空母翔鶴沈没時艦長等を歴任)が任命された〔。11月、第24駆逐隊は第2艦隊・第四水雷戦隊(司令官西村祥治少将:旗艦「那珂」)に編入された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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